A Tribute to ELLIOTT CARTER



エリオット・カーターの生涯を巡るピアノ作品

III   中期:ナイトファンタジー Night Fantasies (1980)

  中期のポストモダンスタイルを代表する唯一のピアノソロ曲ナイトファンタジー Night Fantasies (1980) は、既にカーター演奏家としてエキスパートであった4人の優れたアメリカ人ピアニスト 達から委嘱された作品である。明白で率直な印象を持つピアノソナタに対して、ナイトファンタ ジーでは内面から湧き出る様な激しさを感じることができる。彼は弦楽四重奏第2番 (1959) を境に完全にネオ・クラシック時代を後にし、激しいポストモダニズムのスタイルを武器に更に息の長い「流れの音楽」を展開させていくのである。この新しい時代のより複雑なテクスチャー、リズム、ハーモニー、フォームはそれを可能にしたのである。
 初期の時代のリズミックモデュレーションによるテンポチェンジは、はっきりと聴き分けること ができるが、中期以降のリズミックモデュレーションのユニットには不規則な休符(穴)が存在し、例えば5連音符の2個目と4個目が休符といったようになるため、容易にテンポチェンジを聴き分けることができないのである。この曲ではソナタに存在する様なモチーフの展開は見られな く、かぞえきれない数の断片的要素の繋がりによって成り立っている。彼はこの曲の作曲中、「この曲のために、既に50曲分に値する程のスケッチを書き貯めている」と語っているように、スイスの Paul Sacher Foundation に保管されているこの曲のスケッチは 1001 枚にも及ぶということ である。その結果絶え間ない雰囲気の変化、めまぐるしく複雑化したリズミックモデュレーションによる微妙なテンポチェンジは、ネオ・クラシック時代に築いた息の長い「流れの音楽」を軸に無 数の微粒子を結合させたかのような音の絢を造り出したのであった。ふと現れた断片が音も無く消 え、また異なった断片が現れる様をカーターは「眠れない夜、つかの間の考えの数々が頭をよぎる ようなもの」と説明する。一つのエピソードは消えるように終わり、突然さえぎられるように新たなエピソードが始まる。これらのエピソードが様々なキャラクターと長さに変化し、繰り返し現れ、消え、徐々にクライマックスに達する様はポストモダニズムスタイルの頂点を極める。また彼のピアノ曲のスコアには、頻繁にレガート legato やエスプレッシーヴォ espressivo の表示が現れる。スピードの速く複雑なパッセージにおいても、それらの表示は殆ど欠くことがない。これは演奏家達が技術的な難しさに捕らわれてしまわないように、又その側面にある音楽性に光をあてようという作曲者の意図でもあると思われる。複雑で演奏困難とされるカーター作品の優れた演奏と解釈への鍵は、正にその複雑性の表側にある人間的な率直な感情表現を読み取ることである。
 驚くべきことに、彼は初期から中期への転換期を含む 1949年から1969年までの 20年の間に わずか10曲しか作品を完成させていない。ダブルコンチェルト (1961)、オーケストラの為の協奏曲 (1969)、弦楽四重奏第2番 (1959) などの傑作はこの時期の作品である。演奏家にとって恐ろしく複雑で演奏困難極まる中期の作品は、作曲家本人にとっても、暗闇を手探りで這うようにして少しずつ前進していくような骨の折れる作業を必要としたのである。
 


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